2012-03-12

「カーネーション」糸子の老い

オノマチ糸子の時代に比べ、「カーネーション」の世界に今ひとつ没入できないのはテンポ。
“オノマチネーション”の頃は台詞の応酬も場面展開も間が良くて、糸子達が食事をしたり喧嘩したり働いたり泣いたり寝転がったりするのをまるでドラマの中に入りこんでその場で見ているような気がしたものだ。

夏木糸子の一音一音区切るような泉州弁にもようやく慣れてきたと思ったのだが、ガチャガチャしているだけでコンビネーションの悪いアホボン達との会話の場面ですーっと気持ちが冷めてしまう。

そこで直子である。
画面に直子が出てくるだけでドラマがぐっと締まる。
岸和田ネイティブの直子の泉州弁がポンポン飛び出すと、ドラマがいきいきと動き出し、かつての間の良さを取り戻すのだ。
いいぞ直子。その調子だ糸子。

ところが、糸子のモノローグが入るとせっかくの間が台無しになる。
糸子のモノローグはどうしてこんなにゆっくりなのか。
「瀕死の糸子が亡くなる直前に走馬灯的に回想しているから?」とも考えてみたが、六十歳までほぼリアルタイムの糸子のモノローグだったのに、七十代になったら急に九十代からの回想になるのは変だ。

ゆっくりとした語りで糸子の老いをあらわしている?
いやいや、年をとると身体の自由は利かなくなってくるけれど、頭の中は若い頃のままで、頭と身体のアンバランス、それがまたじれったいのである。
だから、モノローグは若い頃と同じテンポで、台詞は少しだけゆっくり…の方がリアル。
いっそ60歳までを演じた尾野真千子のままでいいと思う。

そして、固有名詞がなかなか口に出てこなくなって、アレだのソレだのがやけに会話に混ざってくるのもわかりやすい老化現象のひとつである。

「ええと、ホレ、あの、浩ちゃん、あの、誰やったっけ、ホレ」
「田中さん」
「そうそう、田中さんや、その、田中さんから頼まれた、あの、アレ、どうなった?」
「もう出来てます」
「ほうか、ほな、ええと、その、アレからアレした、ホレ、アレは?」
「明日には出来ます」

…みたいな感じ。

おそらく小篠綾子さんがそうだったからだろうが、今の糸子はシャキシャキしていて、普段の動作や言動からはあまり老いを感じない。
食後に楊枝を使うとか急に不機嫌になるとか手すりを頼りに階段を昇るとか、身近に年寄りがいるか自分が年寄りならわかる「婆さんあるある」を次々と見せてくれる希有な朝ドラだとは思うけれど、何か違和感、どこか引っかかる。

ワタクシ的に夏木マリという人は「ピンと背筋を伸ばし、高いヒールの靴で颯爽と歩き、美しい足を斜めに揃えて座って婉然と微笑む」みたいな印象のある女優。
夏木糸子は老けメイクを施し、老人特有の仕草を演じているにもかかわらず、時々、背筋が伸びた美人が見え隠れするのだ。
ただ、先週からドラマがスタートしていたなら、まったく気にならないレベル。
夏木マリがそのイメージを覆すような老婦人を真摯に演じている、と感じたと思う。

つい引っかかってしまうのは、先々週までの糸子が、夜は無愛想に一人で晩酌、疲れるとその場で寝転がるというくたびれ方を見せていたからかもしれない。
今の糸子と過去の糸子。
疲れた時に見せる顔が違うというか、年をとってからの方が背筋が伸びてむしろ元気そうに見えるというか……むう、なんだろう、自分でもよくわからないんだけど、何か違和感なんだよねえ。

そういえば、お酒はどうしてやめちゃったんだろう。
空白の12年の間にやめるキッカケが何かあったのだろうか。
しかし、糸子が晩酌をしていた事を知る登場人物は離れて暮らす三姉妹だけ。
今はもう誰も「どうしたの? 最近お酒飲んでないじゃない」と聞いてくれないから、我々は事情を知ることができないのだった。

子どもの頃から大人数で賑やかに暮らしていた糸子が、年老いてからこんなに寂しい日々を送ることになるとは……。別に一人っ子でもなければ生涯独身というわけでもなく、妹も子も孫も甥も姪も山のようにいるというのに。
妹達は健在だろうか。孫やひ孫も集まって、せめて年末年始は小原一族勢揃いで賑やかに過ごしてほしいよ。【み】